<h2>これをなくさないと、難問解いても結果は同じ</h2>
現代文を短期間に得意科目にするには?
結論から書くと、
⇒「先入観」を払拭すること!
そう、先入観は現国の大敵なのです。
先日、なにげにネットサーフィンをしていて驚いたことがあります。
黒澤明の映画『影武者』で、武田信玄の死が確かなことだと知った信長が「敦盛」を舞うシーンがあるのですが、なぜ舞うのか「意味がわからない」という書き込みをいくつか見つけたんですね。
えっ!
なんでわからん?!
信長は舞う前に、「さすがは信玄! 死してなお3年の間、よくぞこの信長を謀(たばか)った!」
ってセリフ言ってるじゃないですか?
このセリフがポイントなんです。
騙されたことは悔しい。
しかし、この俺様を欺くとは「敵ながらあっぱれ」という称賛の念も込められているわけですよね。
下線部の2つの言葉に注目。
「<u>さすが</u>は信玄! 死してなお3年の間、<u>よくぞ</u>この信長を謀(たばか)った!」
ほら、2度も褒めてるじゃないですか(笑)。
「悔しい」という感情だけであれば、
「<u>こしゃくな</u>信玄! 死してなお3年の間、<u>よくも</u>この信長を謀(たばか)った!」
となるはずですからね。
だから、舞いを始めるのは、巨大なる敵に対する「ちくしょう、やられたぜ。さすがは俺様の敵」という畏敬の念が理由の1つ。
それともうひとつは強大な敵がいなくなったことに対する安堵もあるのでしょう。
これは、映画の中盤に出てくる信長「この信長が怖いものはこの世でただひとつ、武田信玄よ」というセリフを覚えていれば、容易に推測が出来るわけです。
こう判断する根拠は、劇中の情報(セリフ)のみ。
ここが重要なのです。
現代文でもそうですが、与えられた情報(問題文)のみを根拠に考えを進めていかねばならないのです。
いや、それ以外、余計な情報や知識を使うことはNGなのです。
振り回されて、結局のところは時間浪費、誤答と良いことは何もありません。
参照するテキスト、情報は、問題文に記された文章のみ!
「史実では、信玄の死は3年間も秘匿されなかったんじゃないの?」という歴史の知識や、「信長って、本当は信玄のことをそれほど恐れてなかったんじゃないの?」という個人的な推測は、現代文を解くうえではかえって邪魔な要素になるのです。
中途半端な知識や思い入れは、かえって解答に辿り着くまでの道筋を曇らせます。
手がかりや根拠は文中にしかない。
手がかりや根拠は文中に求めよう。
たとえ自分の好みや考えに反することでも、判断の材料は自分のアタマの中ではなく、問題文の中に見出すこと。
これ、すごく重要なんです。
自身の好みや知識や先入観をいったん封印し、まずは、目の前にある情報を丸ごと受け入れる。
この姿勢の有無が、現代文の力を伸ばすか伸ばさないかの大きな鍵となるのです。
逆に、これをわかった上で臨まないと、大量に問題を解いてもあまり成長はしません。良いときもわれば、悪いときもあるという不安定な結果を続けることになります。
<h2>受験以外でも役に立つ</h2>
受験はもとより、現代文は、実社会ではもっとも必要とされる要素を訓練する科目なのです。
自分自身の好みや知識や先入観は、いったん封印し、まずは、目の前にある情報を丸ごと受け入れる。
これを元に、推理や考察をすすめていく。
これって、実社会においても必要なことですよね?
人の話をきちんと聞けること。
単に耳の中の鼓膜を震わせるといった意味での「聞く」ではなく、相手の言わんとしていること、ひいては言葉になっていないところにある相手の真意を察すること。
この「聞く」ではなくて「聴く」の要素が大切なのですね。
これを受け止め、消化した上で、きちんと返すことができる。
⇒会話のキャッチボールができる
それが出来ない「俺が俺が」くんや、自分の話しかできない「アタシがアタシが」ちゃんがいたら、
⇒鬱陶しいです
鬱陶しければ鬱陶しいほど、
⇒嫌われます
嫌われるまでにはいかないにしても
⇒疎まれます。
あるいは、あえて死語を使いますが、KY(空気が読めない)と見なされます。
会話の流れ(文脈)からまったく外れたことを言えば「こいつアホか」と思われます。
会話の流れや趣旨を掴むことなく、単に人やモノなどの固有名詞に反応するだけでは、単なるウンチク野郎になってしまいます。
そのような人と、サークルやゼミなどのグループ活動を共にしたいと思いますか?
そのような人が、
飲み会や合コンなどの集まりで近くの席にいて欲しいと思いますか?
そのような人に、会社の上司は仕事を任せたいと思いますか?
そのような人に、仕事を発注しようと思いますか?
そのような人と、長くおつきあいをしたいですか?
だから、相手の話に耳を傾け、その内容を咀嚼した上で、適切な回答を返せる能力、これってすごく重要なことなんです。
この能力を鍛えることが出来る科目が現国なのですね。
もう一度書くよ。
現国は目の前にある情報のみを判断の根拠にすること。
特に、現代文で出題される「小説」は、昔の話が多いです。
大正時代とか昭和の初期とかね。
すると?現代に生きる我々と、小説の中の登場人物とは価値観が大きく異なることも珍しくありません。
昔の人はスマホもiPodもiPadもPS3もWiiも持っていません。
ラインやメールで気軽にコミュニケーションをとっていません。
コンビニもファーストフードもない社会で生きていますし、
当然、自宅にはウォッシュレットも食器洗い機もありません。
だから、現代に生きる我々とは少々価値観が違う場合が多いんですね。
『ビブリア古書堂の事件手帖』で有名になった小山清の『落穂拾ひ』。
作者の願望小説と評されたこの作品では、古本屋の少女は小説を書いている主人公に薬屋で買った耳かきと爪きりをプレゼントをします。
少女から耳かきと爪切りを贈られることは作者の願望だったのではないか? と『ビブリア』の劇中では分析されています。
異性から貰って嬉しいプレゼント。
そこに現代に生きる自分自身の価値観を持ち込むと、「耳かきなんていらないもんね。どうせ耳関連でプレゼントされるならノイズキャンセリング機能付きのイヤフォンが欲しい」になっちゃうかもしれないし、「爪切りよりも、ネイルアート用のラインストーンのほうが貰って嬉しいし」
になっちゃうかもしれないわけです。
そうすると、作者の意図や、描きたかった心情描写が伝わらない。
我流解釈のまま「つまらない地味な作品」で終わってしまうわけですね。
勿体ない、、、
というか、つまらない人生ですよ。自分の狭い価値観だけの物差しで生きるのは。
だからこそ、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」生きるための処方箋の一つが、現国的能力のアップなんじゃないかと思うわけなのです。
まずは目の前の内容をそっくりそのまま受け入れる
この姿勢こそが現代文に必要なこと。
これが備われば、あとは授業や演習で各論のテクニックを磨いていけば良いと思います。
これなしで、やみくもに問題を解きまくっても
あまり実力はつかないのではないかと思います。
まずは、相手の話をきちんと聴いて、会話の流れを壊さないようなリアクションを心がける。
たったこれだけの配慮でも、ずいぶんと現国力はアップすると思うのです。
たったこれだけの配慮すらできない社会人も大勢いますが……。
(このことを意識して)人の話をよーく聴こう。
(このことを意識して)問題文をよーく読もう。
これを繰り返すだけでも、短期的には受験の現代文に強くなれる上に、長期的には対人コミュニケーションの達人になれる可能性もあります。
損得感情で考えるべきことではないのかもしれませんが、やはり現代文をこの時期に訓練して得意になっておくと、もちろん目先の大学受験にも役に立ちますが、それだけではなく、大学生活、社会人生活においても協力な「武器」を身に着けることに繋がるはずです。
それに、先ほど例に挙げた黒澤映画のようなエンターテイメント作品も(映画にかぎらず、アニメや小説やマンガも)、より面白く深く楽しめるようになれるはずです!